2006/05/31.Wed

あの世からのリクエスト?

昨日でラー様がいなくなってから3週間経ちました・・・。
仕事から帰宅すると、郵便ポストの中に『フィラリア予防の時期です』というお知らせのハガキがラッキーちゃん宛てに届いていました。
初めに行っていた動物病院から毎年届くハガキです。
もういないんだってば・・・と、しょんげりしたと同時に、ちゃんと報告してカルテのコピーまでもらってきたのに・・・無神経な病院だよねぇ~とムカついてきた私・・・。
リビングに入ると夫が「ゆーとなぁ~、オマエが朝出かけてから言い出したんだけど、朝ラッキーと寝てたんだってよ」と聞かされました。
ゆーとに聞くと「朝ね、ゆーとの横にね、ラッキー寝てたさぁ~♪」とうれしそうに話していました。
そんな話しから、今だから言うけど・・・と夫から聞かなければよかったかも・・・と思える事実を聞いてしまいました。
「オレと一緒のときで良かったのかもしれない・・・オマエなら半狂乱になっていたかもしれない・・・」と。
当時は、尿を抜いてもらっている最中に一瞬グ~っと首を持ち上げたと思ったら、そのまま息が止まってしまった・・・と聞かされていました。
元看護婦の友人にそのことを伝えると、尿を抜かれて血圧が下がったのかもしれないね・・・と言っていました。
「それで、どう違うのっ?!」と半ば脅迫まがいの口調で聞くと、状況としてはその通りだったようなのですが、横になった状態で尿を抜いていたら、背中に頭がつくんじゃないかというくらい苦しそうに仰け反ったらしいのです。長い時間でもなかったけど、一瞬でもなかったと・・・。
夫は「もしあの場にオマエがいたら大変なことになってたな・・・ラッキーもオマエにあの姿を見せたくなかったんだべっ」と言っていました。
夫にとっても厳しい状況だったのでしょう。
聞かなきゃ良かったような、事実を知っておきたかったような・・・どうせここまで黙っていたなら、ず~っと黙っていてくれればいいのに・・・とも思いました。
診察の順番を待つ間、他の犬もいるから静かに待たせてやりたいと、車の中でラー様を待たせていたらしく、ふと気になって車に行ってみると黒い便が肛門から出ていたという話しは聞いていました。
その段階でやな予感はしたんだよなぁ~と夫は言っていました。
いずれにしても、もう限界だったのかもしれないし、よく頑張ったことには変わりないし・・・あれ以上苦しまないように、きっとお迎えがきたんだ・・・と自分に言いきかせています。

夜、寝室のベッドの中で、いきなり「ラッキーそこで寝てるよ」とゆーとが言い出しました。
どこ?と聞くと「そこで寝てるよ」ってベッドの足元の方を指差していました。
「朝になると、もっと見えるよ~」とニコニコして言うのです。
ホントに、ゆーとには見えているのかもしれません・・・。

先日の土曜日、運動会が終わった後に帰宅すると、たっくんが突然こんなことを言っていました。
「この前たっくんがラッキーとミウラのばあちゃん見たときあるしょ~、きっとラッキーこれから天国へ行くよ~って合図だったんじゃないかなぁ~」と・・・。
「そうかもねぇ~」と言いながらウルウルモードのスイッチON!
少し時間が経って落ち着いたと思ったら、今度はゆーとが「ラッキーといて楽しかったねっ」とボソッと言うのです。
「うん、楽しかったね・・・」というのが私にとっては精一杯でした。
何だよ!何だよ~!きょうでぇ~揃ってお母さんを泣かる時間差攻撃かよ~。
でも、子供達にとっては素直な気持ちで話しているだけなんでしょうね。
これからもこの攻撃は続くのでしょうか・・・。

自己免疫力を高める方法の1つに、モーツァルトの曲を聞くと良いという説があります。
子供達と夫が寝室に行ってから、ラー様と2人になるとモーツァルトのCDを聴かせていました。
ホントに祈るような気持ちでしたね・・・。
今もそのCDを聴くと泣けてきちゃいます。
聴かないでおこうと思うのですが、何故か時々聴いてしまう・・・。
自分のことを思い出してほしい時、ラー様があの世からリクエストするのかな?
愛犬ラッキー | Comments(4) | Trackback(0)
2006/05/17.Wed

ラー様からもらったもの♪

今日は朝っぱらから、ひと泣きしてしまいました。
ゆーとが起きるなり、まだ寝ぼけた状態で目をこすりながら「今、ラッキーゆーとの横に寝てたさぁ~」と・・・。
昨夜は、たまった洗濯物を片付けたり、夫の会社の決算処理(今週が提出期限・・・これから毎日深夜残業です)をする為に、明け方まで起きていたので、お母さんっ子のゆーとはリビングのソファーベットに寝かせていたのです。
そこは、ラー様がリビングにいる時の特等席とも言える場所・・・。
ラー様来てたのかも~♪と思うと、既にウルウルしてしまった私・・・。
そこに、とどめを刺したたっくん。
「たっくんも2Fでラッキー見たよ!ドアの所でお座りしてた。触ろうと思ったら無理だった・・・」だそうな・・・。
そういう大事なことは、すぐ報告して欲しいものです・・・。
もうガマンしきれず、ボロボロ泣いてしまった私。
いいなぁ~いいなぁ~
私は夜中に洗濯物をたたみながら「ラーちゃん、何でもいいから、いるよって合図してっ!」と、泣いてお願いしても反応なし・・・でした。ラー様も寝てたかな・・・?
手で顔を覆って泣くフリをすると、「どしたのよ~」ってな感じで下からもぐるようにして私の顔に『しゃっこい(冷たい)鼻』をつけてきたラー様。
「ラーちゃんありがと~♪」と撫でると「撫でなくていいから、何かくれっ!」とカリカリ前足で私をひっかいていました(笑)
何度やっても付き合ってくれたラー様でしたが、マジで泣いているときは、やってくれなかったな~。
掃除機をかけながら、ラー様の毛を見つけると愛おしい気持ちになります。
生きているときは、「も~ラーちゃんのその毛何とかならないのぉ~!」なんて文句言っていたのに・・・。
勝手なもんですよね。
ちびっ子ギャングが登場してからは、彼らがいないときを見計らって地味にアピールしていたラー様。
オレ1人~♪って感じで、甘えて来る時もありました。
ラー様にとっては、彼らがいるときは仕方がない・・・と思っていたのかもしれないな~。
フルタイムで仕事をして帰宅後は、子供達を寝かせるまで、ホントにじっくりラー様と向き合う時間はなかったように思います。子供と一緒に寝てしまうことも多かったし・・・。
こんなことなら、もっといっぱい、いっぱい、かまってあげれば良かったと胸が痛い・・・。
「お母さんがどんなことをしても助けるからね!」という約束を果たせなかった・・・という思いで、今も押し潰されそうになるときもあります。
撫でてもすぐ「何かくれ!」攻撃をしていたラー様。
寝ている時ぐらいしか、ゆっくり撫でさせてくれませんでした。
でも後半、ほとんど動けなくなってからは、ホントにたくさんたくさん撫でました。
ちびっ子ギャングが登場してからの日々を取り戻せたかな?と思える程・・・。
そして、ラー様だけを見つめる時間をもらいました。
この時間がなければ、私はもっと自分を責めていたかもしれません。
ラー様は身体を張って、私にこの時間をプレゼントしてくれたのだと思っています。
一緒に暮らしていた大好きだった祖母(通称ミウラのばぁちゃん)が亡くなったとき、以前飼っていた犬を安楽死させたときも、誰かに何が起こっても後悔しないようにしていかなければならないと思いました。
今回もラー様の事を通じて、改めて家族や友人との関わり方を考えました。
ホントにいろいろなことに気付かされています。

会社から帰宅後、改めてたっくんに聞いてみたところ
たっくん「ラッキー、ちゃんと赤いネックしてたよ~。(首輪のこと。ラー様につけたまま火葬しました)そしてね、ミウラのばぁ~ちゃんもベッドに座ってたの。写真と同じ服着て・・・」
私「ええっ!ミウラのばぁ~ちゃんもぉ~?」とビックリするやら、またまた涙が出てくるやら・・・。
「またお母さん泣いてる・・・」と呆れ顔で言われちゃいました。
ラー様が逝ってしまった夜、たっくんは「きっとミウラのばぁちゃんがちゃんと連れていってくれるよ・・・」と言っていたことを思い出しました。
私「ミウラのばあちゃんのほかにも見たことある?」
たっくん「ハゲツルピッカのおじさんも、髪の毛ボーボーの人も見たことあるよ・・・」と。
ギョギョ!!誰の事それ?と一瞬ひいてしまいましたが、怖がらせても可愛そうだと思い、
私「コワイ顔してた?優しい顔してた?」
たっくん「優しい顔だよ。こんにちはって言われるときもあった・・・」だそうな。
私「たっくんコワくないの?」
たっくん「うんっ。だって何もしないこと分かっているもん」とかなり淡々とテレビゲームをしながら言い放っていました。
私「今まで何で言わなかったの?」
たっくん「だって聞かれなかったから、別に言うこともないかなと思って。あれ、仏さんが帰ってくるっていう日があるしょ?あの時もミウラのばあちゃん見たよ。『たくやくん』って言われてビックリしたさ」とも言っていました。
実は、まだ2~3歳くらいのときだと思うのですが、たっくんは和室の床の間の方を指差して、おばあさんがいる・・・と言って、私達をサムイボだらけにさせたことがありました。
子供やペットには、その世界の人も見えると聞いたことがありますが・・・たっくんは、これからどうなっていくのでしょう。
また見えたら教えてね~♪と言っておきました。時々チェックしながら、見守りたいと思います。

リビングや2Fの寝室のドア・・・
ラー様がドアを開けるときにつけた爪あとが深く刻まれています。
リビングドア

前足でドアノブを開けるので、こんな所にもキズが・・・
寝室ドア

ラー様がこの家にいた証です♪
今となっては、このキズさえも愛おしくて・・・たまらなくなります。
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2006/05/14.Sun

守ってあげたかった・・・

昨日、やっと五月人形を片付けました。
たっくんは、五月人形のオルゴールを聴くとラッキーの事を思い出すなぁ~と言っていました。
まだ、たっくんがベビーベッドに寝ているころ、気づくとラー様が無理矢理ベビーベッドに上がって一緒に寝ていることもあったよなぁ~と夫が言い出しました。
そうでした・・・窒息していないかと、かなり焦った覚えがあります。
その後も、子供達が寝ていれば、足元を枕にして寝ているラー様。
ゆーととラー様

(↑ゆーとです♪こ~んな写真や映像が多い・・・笑)

守ってやらなければ・・・と思っていたのか、単なるふとん好き?枕好き?なのか・・・。
何てったって、自分も人間だと思っていたラー様なので、私が友人と話していても、アウオウオウ♪と横にきては話に挟まる・・・子供達と夫が相撲をとっていると、行司にでもなったつもりなのか、周りをスキップするようにグルグルまわりながら吠えまくるし・・・ビデオを撮っていても、常にどこかにラー様の姿が入り、しかも「オレも写ってる?」と言わんばかりに思いっきりカメラ目線♪でした。
最期のビデオ録画になってしまった散歩の映像・・・勇気を出して観てみると、やはり要所要所でしっかりカメラ目線~♪・・・ちょっと笑ってしまった私。
何かの節目にとる家族写真も、昔から付き合いのある写真館にお願いして、いつもラー様も一緒に写してきました。
興奮して毛が飛び散ったりするにもかかわらず、いつも快く受け入れてくれていた写真館にも感謝しています。

さて、金曜日の会社帰りに、初めに行っていた獣医さんにお会いしてきました。
ゴールデンウィークに入って間もなく調子が悪くなったので(ここの動物病院は祝日お休みなので)他の獣医さんにかかったことを話し、経過も報告しました。
今までのお礼を言ってカルテのコピーも無事もらうことができたので、採血データを表にして、じっくり見てみました。
4/21(金)の朝、様子がおかしいと連れて行ってから、3日間膵炎治療の点滴を行い、その間は毎日採血を行っていました。
そして、24日(月)には膵臓の数値も下がっているので流動食も許され、26日(水)に念のため再び採血をしています。
覚書程度に、経過と先生とのやりとりは残してあったのですが、その日は膵臓の数値だけをその場で見せられ、良くなってきています・・・と言われています。
慢性の膵炎になることはあるのでしょうか?と聞いた覚えがあり、急性から慢性になるケースは4割くらいありますねという話でしたが、まず食事を与えて下痢や嘔吐がないか様子を見て下さいとのことだったので、ラーちゃん良かったねぇ♪なんて言いながら、ほいほい帰ってきた私・・・。
ところが、何とデータを見てみると・・・その段階から肝臓の数値が高いのです。
ALP(肝機能の診断に有効な数値・正常だと200~300程度)が1181もあるし、白血球もこの段階で(正常12000程度まで)33100もあったのです。
こんな数値が出ていながら肝臓については何も説明されていませんでした。
ここでは、カルテに採血結果がベッタリと貼られていて、先生から「こちらの数値・・・」と見せられると、ふむふむ・・・なるほど~と思って見る事もできますが、その他のデータなんて素人ではパッと見ただけではわからないですよね?
よほど知識を持っていて正常値がどのくらいか理解していれば、さっと見せられただけでも異常値が目につくかもしれませんが・・・。
この段階で、抗生剤を点滴していたらどうだったのだろう・・・と今更ながら思ってしまいます。
愛犬家で元看護婦をしていた友人に(その方の犬も同じ獣医さんにかかっているので・・・)今日、興奮しながらその話をすると、獣医さんは一時的なものかもしれないと思ったのでは?と言われたのですが、それならそれで「ちょっと肝機能が心配なので・・・」と説明をして、数日後に採血することを勧められても不思議ではないよね?とつっこむと、そうだよね・・・と。
結局は、その後どうしても調子もでないしおかしいと思い、3日後の29日(土)に電話をしたのですが、その日は祝日でお休みだったので、様子を診て下さいとのこと・・・結局次の日30日(日)に連れて行ったときは既に腹水がたまっていて、肝臓の数値が異常値です。ALPは903で、GOT(正常49程度まで)が67でGPT(正常70~80程度まで)が283・・・開腹しなければわかりませんが、どうしますか?という状態でした。
でも、特に点滴をしましょうでもなければ、開腹するかどうか家族と決めてきて下さいという話で終わってしまっているのです。
私も、悪性の腫瘍・・・開腹するしかないと言われて、落ち込んで帰宅。
どんどん体調も悪くなっていくのを黙って見ていられないし、開腹以外の方法はないものかと思い、結局は5/4(木)に2件目の獣医さんに診てもらったのですが、その段階では更に肝機能の数値も白血球もあがってしまっていました。
人間もペットも同じですが、診てもらうドクターによって、考え方も治療方針も違うと思います。
いろいろ調べましたが、腹水=悪性の癌とは限らないようです。
もっと体力のあるときだったら、内視鏡という方法もあったかもしれません・・・。
愛するものを守る以上、常日頃からもう少し犬の医学についても知識として持っているべきだったと後悔しています。
獣医さんに任せていれば大丈夫・・・的な考えではダメなんですね。
それでも、採血結果のコピー1枚もらっていれば、家に帰ってじっくり見ることも、ネットで調べることも可能です。
簡単なことですが、ホントに重要な事だとつくづく思いました。
見なきゃよかったのかも・・・と思ってしまうくらい、腹立たしい思いですが、事実を知ることができてよかったのかもしれません。
ラー様は帰ってこないんですけどね・・・。
愛犬ラッキー | Comments(8) | Trackback(0)
2006/05/12.Fri

ゴミあさり~

ダイニングテーブルに食べ物を置きっぱなしにしておくとラー様にやられるので、残ったおかずなどは常に高いところに置くようにしていました。
その習慣が未だに夫も私も抜けなくて・・・
「もうテーブルに置いたままでもいいんだね・・・」と夫婦で苦笑しています。

2年くらい前、下痢を繰り返していた時期がありました。
その頃から、食べているのに痩せてきていました。
何か悪い病気かも・・・と心配になって病院に連れて行き、尿や便も検査してもらいましたが「特に異常はないので、痩せてきたのは下痢が続いてたからでしょう。この子の場合神経質なのでストレスからきているのもあるのでは・・・」とのことでした。
確かに、ちびっ子ギャング2人相手に『てんやわんや』の時期でしたので・・・。
愛犬家の友人より、食事を変えてみることを提案されたのでシニア用でオリゴ糖入りのものに変えたところ、あまり下痢はしなくなりましたが、やはり少し痩せ気味・・・。
以前と変わらず元気もあり、食欲もあったので夫と私も、歳も歳だから太っているよりはいいのかもねぇ~なんて呑気に構えておりました。
それまで何でも食べさせていたのですが、また下痢をしても困るし、歳もとってきたから今までは大丈夫だったものも、あまり何でも食べさせちゃ~ダメかな~と以前よりは、おやつも控えめになっていました。
するとゴミ箱をあさるように・・・。
ラー様ゴミあさり

2件目の獣医さんから、膵臓が悪い子は食欲があってよく食べるのに痩せてくる。
時にはゴミでも食べてしまうことがあると聞きました。
子供達が食べたガムや、おやつの入っていた袋のニオイに誘われて・・・だと思っていましたが、今思うと、その当時から既に膵臓の方がおかしかったのでしょうか・・・。
私たちが外出中、ゴミ箱をあさるようになってから、帰宅すると真っ先に家の中に入り、『ラッキーチェック』をしていたのは、ゆーとでした。
何もやらかしていなければ親指を立ててgoodサイン、よからぬ結果だった場合・・・ガッパリやらかしていたとしても、顔をひきつらせながら「ちょっとやってた・・・」と言い、片付けるのを手伝ってくれていました。
夫に見つかる前に、子供達2人で急いでゴミを片付けていたこともありました。
ラー様が怒られるのを見るのがイヤだったのでしょうね。
あの時採血をしていたら、今回のような結果にはなっていなかったかも・・・と、どうしても思ってしまいます。

後になって聞きましたが、逝ってしまう直前、獣医さんも看護婦さんも何とか私が到着するまで・・・と手を尽くしてくれていたそうですが「もう結構です・・・」と夫が言ったそうです。
ラー様がこの家に来るときも夫と一緒でした。
そして別れるときも、夫と一緒にいられるときを選んだのだなぁ~と思っています。
プロフィール部分のラー様・・・今年の年賀状に使用した画像です。
昨年の暮れに「来年はラーちゃんの年だねぇ~」と、背景をなくし年賀状の真ん中に配置、その周りに私たち・・・というものを作りました。
それが今は、これを遺影として部屋に置くことになってしまうとは・・・。
来年の年賀状・・・「うちは喪中だから出さないぞ!」と夫は言っています。
愛犬ラッキー | Comments(9) | Trackback(0)
2006/05/11.Thu

透明なラッキー♪

こうして書くことって大事なことですよね。
思い起こすと、昔から自分の気持ちを整理したいときには手紙を書いたり、日記を書いたりしてきたような気がします。
モヤッとしていたものを鮮明にする・・・という効果が私にはあるようです。
失恋した友人なんかにも書くことを勧めていました。
そして今回も、こうしてブログに書くことで自分の気持ちを開放することができたり、温かいコメントで救われることもありました・・・ありがとうございます。
と考えると、このブログを始めなければならないと思ったのには、こういう意味も含まれていたんだなぁ~と、昨日の夜ふと思いました。
ブログを始めていなければ、ここまで経過も残すことができなかったかもしれません。
何事も必然なんだなぁ~と改めて考えさせられました。

私が住んでいる地方・・・昨日の夕方は、かなり強い雨でした。
私より比較的帰宅が早い夫が、ほとんど夕方の散歩を担当していました。
雨の日散歩に出ると、何故かその時間帯が一番ヒドイ雨になるのです・・・どっちかが雨男なんだね~といつも話していました。
17:30頃に会社を出た私は『あ~ヒドイ雨だなぁ~ラー様の涙かな?それとも、普段なら散歩の時間だから例の如く雨男のせいかなぁ?』なんて思いながら帰宅したのでした。
玄関に入ると、我先にとドアを開けて迎えにきてくれたラー様・・・何だか物足りないんですよね。
夫がこんなことを言っていました。
夫が仕事から戻り、ちょっとソファーに横になっている内にうつらうつらと少し眠ってしまったそうです。
眠りながら『あ~ラッキーの散歩に行かないとな~』と思っていたら『フィ~』という散歩をせがむ時のラー様の泣き声が聞こえたそうな・・・ビックリして飛び起きたそうです。
ちょうど時間は17:30頃だったらしく、いつもの散歩時間だ・・・と思ったと。
きっと、夫と一緒に散歩に行きたかったのでしょうね・・・。
5月6日の朝、病院に連れて行く前にいつもの散歩コースへ連れて行ったのが、最後の散歩になってしまいました。
とても天気のいい朝でした。
私は、きっと歩けないだろうけど、どうしても連れて行きたい!と思いました。
もしかしたら最後かもしれない・・・という思いもありました。
やはり、ほんの少ししか歩くことができませんでしたが、その先に続く散歩コースの道を立ったままず~っと見ていたことを思い出します。
どんな気持ちで見ているのだろうと思いながら、私は泣きながらビデオを撮っていました。

火葬場まで行くことができなかったたっくんには、夫が骨壷のフタを開けて見せたそうです。
夜、お骨と一緒に飾った写真を見ていた私に、たっくんは「サッカーに行く前、ちょっとの間でも1人でお留守番できたのは、ラッキーがいたからできたんだぁ。でも、ラッキーいなくなってしまったから1人でお留守番できなくなると思う・・・」と言ってまたウルウルしていました。
学校が終わると普段は児童館や近くにある夫の実家に行っているのですが、サッカーのある日は少しだけ1人で自宅にいることがありました。そんな時に、ラー様と2人だけの時間があったのですね・・・。
2人がどんな風だったのか・・・ちょっと見てみたかったような気がします。
一緒に行って骨まで拾ったはずのゆーとは・・・夜になってからも何回も何回も骨壷のフタを開けて、頭蓋骨まで持って見ている始末。
火葬場に行く前、ゆーとに「ラッキー焼いてしまうんだよ~」と教えると・・・
「ラッキーの肉食べてみたいな~」だそうな・・・一瞬無言になった私。
愛情の印なのか、『Xファイル』漬けになっていた胎教のせいなのか・・・。
骨を食べるというのは聞いたことがあるけれど、肉を食べるというのは・・・ん~さすがゆーとです。
夫がハンティングをしているので、鹿肉を食べることがあるからかもしれませんけど・・・人前では避けて欲しい発言です。
「ラーちゃんどこにいると思う~?」と子供たちに聞くと「骨になったんでしょ?」と言うので「皆にはみえないけど、ラーちゃんは、いつもいたところにいると思うよ~」と言うと、「透明なラッキーなんだぁ~!」と納得していました。
よく観ている『トムとジェリー』のビデオと重ねて想像しているのではないかと思いました。
夜寝るときも、ラー様は一緒に2Fに上がってベッドで寝ていたので「ラッキー2F行くよ~♪」といつものように声をかけて2Fへ上がりました。
ゆーとは「あっ来てる来てる!透明なラッキーがついて来てるわ~」と言っていました。
自分は人間だと信じていたラー様。ベッドで寝るのが当たり前だと思っていたようです。
子供達が出現する前は、夫の腕枕で寝ていたくらいですから・・・。
その後は、クイーンサイズのベッドに夫とたっくんペア、隣のシングルベッドに私とゆーとペアそして足元にはラー様という、何ともバランスの悪い配置になっていました。
私は朝起きても足元は重いし身体もキツイ・・・何だか疲れが取れないんだよね~なんてよく言っていたものです。
シーツを替えたときなんかは、掛け布団を戻す前に、ラー様が涼しい顔をしてさっとベッドに上がり「よしっいいぞっ!よく替えてくれた!気持ちいいぞっ!」と言わんばかりにくつろぐ始末・・・。
もちろん私に「降りなさいっ!」と怒られていましたが・・・。
体調が悪くなり、足元がフラつくようになってからは、当然2Fにも上がれなくなっていました。
それでも、何とか2Fに上がろうとして、階段を踏み外すような音が聞こえて慌てたり・・・そこで初めのうちは抱いて2Fまで上げていましたが、後半はラー様に付き添い、私もリビングで寝ていました。
逝ってしまう2日前の夜、たっくんが「どうしてもラッキーを2Fに連れて行きたい!」と言い出しました。
抱かれるのもツラそうな状態だったので「かわいそうだからやめようよ~」と夫も私も反対しましたが、「ラッキーも2Fで寝たいと思うよ」と、たっくんも譲りませんでした。
その気持ちを酌んであげたいと思い、ラー様をタオルケットに乗せて夫と2人がかりで2Fまで運びましたが、痛みのせいでハナを鳴らし続けるので子供達も気になって眠れない様子。
結局は、間もなくリビングまで戻して私が付き添うことになってしまいましたが・・・。
でも、今思うとずーっと自分の寝室だと思っていた部屋に少しでも行くことができて、ラー様にとっても良かったのかな・・・と思っています。
逝ってしまった夜は、子供達を寝かしつけた後、夫と私でラー様を挟むように川の字で寝ました。

家族が出かけるときはもちろんのこと、どんな人が家から帰るときでも窓から見送るラー様でした。
今日の朝も、やはりいつもラー様が見送ってくれていた窓を見てしまいました。
きっと『透明なラー様』が見送ってくれているなぁ~と思いながら・・・。
愛犬ラッキー | Comments(2) | Trackback(0)
2006/05/10.Wed

今は・・・

今日は、朝から火葬してまいりました。
横になると1mはあったラー様の身体も、小さな骨壷の中に入ってしまいました。
生前よく『ラッキーは、かすがい』と私は言っていたのです。
もともとラー様は、結婚前に夫が私の反対を押し切り勝手に連れてきた犬でした。
しかも、一番最後に残っていた犬だったそうです。
でも、もう見たとたん即決したそうな・・・これも不思議な縁なのでしょうね。
正直なところ、もしラー様がいなければ夫と結婚していなかったかもしれません・・・。
この人と結婚するのはやめよう!と思ったことも幾度となくありましたが、ラー様と離れることができず・・・結局現在に至っています。
たっくん(長男)や、ゆーとにも「ラーちゃんのお陰で、あなた達はこの世に生まれてきたんだよ~」なんて冗談まじりで言っていました。
そのくらいラー様は、私の人生を大きく左右した存在でした。
もうボクがいなくても大丈夫・・・と思ったのでしょうか。

昨日は、帰宅した子供達がどういう反応をするのか、この目で見届けたいと思っていましたが、ある程度落ち着いてから、私は出社することになり、後になってから夫より状況を聞きました。
まず、たっくんが何も知らずに学校から帰ってきたところに、夫から話しをすると「ラッキー死んじゃったんだ・・・」と言ってウルウルしながらも、ちゃんとサッカー少年団の練習に向かったそうです。
たっくんは、ラー様が苦しんでいるとき、泣きながら神棚に手を合わせて一生懸命お願いしてくれていました。
そして、ライバルのゆーとは、夫の母が保育園まで迎えに行ってくれたのですが、あえて何も伝えなかったらしく・・・帰宅するとラー様が子供用のふとんに枕をして横になっているのを見て「ラッキー寝てるんだ~!」と言ったそうな・・・。
死んじゃったんだよ・・・と言うと、少し経ってから嗚咽して泣いていたそうです。
夜も、たくさんの方が花を持ってきてくれたり、ラー様が好きだった食べ物を持ってきてくれました。
夫の父と弟からは香典まで・・・。
ラー様通夜

子供達も、自分のおやつのカゴを取り出してラー様の枕元にお供えしていました。
「ラッキーの人徳だねぇ~」と夫が言ったので、「犬徳でしょ?」と思わず突っ込んでしまいましたが・・・。
来客時はあえて明るくふるまっていたように見えた子供達でしたが、皆が帰った後・・・たっくんは号泣していました。
今まで張り詰めていたものがプッツリ切れてしまったのでしょうね。
ゆーとは「男は泣いたらダメなんだよ~」なんて、自分に言い聞かせるように言うので、私は「悲しいときは男でも泣いていいんだよ~ガマンすると身体に悪いから・・・」と言うと、「そうなんだぁ~」と言っていました。
今日の火葬には、子供たち2人とも連れて行きたいと思っていましたが、たっくんは学校の遠足だったので残念ですが諦めました。
釜に入れる前のお別れのときは、さすがのゆーとも泣いていました。
そして無事お骨も拾った後、帰りに立ち寄った花屋さんに犬がいたのです。
近くで見ていたのですが、急に嗚咽をしながら泣き始めたゆーと・・・
「ラーちゃんの事、思い出しちゃったのかい?」と聞くと頷きながら泣いていました。
本当にゆーとはよくラー様と遊んでいましたから・・・たった4年半しか一緒に生活していませんでしたが、たくさんの思い出ができたと思います。
子供達には「しばらくは、たくさんラーちゃんの思い出話してあげようね~。そうすることが一番ラーちゃんの喜ぶことだから・・・」と言って聞かせています。

私は、脱力感とでも言うのでしょうか・・・心にぽっかりと穴が開いてしまっています。
受け入れることができないんですよ。
あまり泣くとラー様も悲しむな~と思いながらも、何をしていても涙が次から次へと溢れてきます。
夫の母は「お母さんにとっては(私のこと)子供が一人死んでしまったのと同じようなものだもんねぇ~」と・・・ホントにそんな思いです。
キッチンで料理をしていても、いつも「何かくれっ!」と言わんばかりに床で伏せをして待っている姿・・・、テーブルから食器を下げる時も「つまずいて転ぶってば!」と言ってしまうほど、一緒に行ったり来たりする姿・・・。
トイレまでついてきて、ドアノブを開けて中まで入ってきたり、ドアの前で伏せをして待っていることも・・・お風呂に入ると、バスマットの上で丸くなって寝ているし・・・。
「介護犬のつもりなのかい?まだ介護はいりませんから~♪」なんて言っていたくらいでした。
覚悟をする時間をもらいましたが、20日足らずで食いしん坊で元気過ぎるくらいだったラー様の姿が存在しなくなる・・・というのは、受け入れろという方が難しい。
このブログでも、ラー様はもっと楽しい話題で登場する予定だったのです。
特にさくらんぼを食べると種だけ出す・・・というのは是非UPしたい特技でしたが、それもお見せできなくなってしまいました。
ビデオでは録画してあるので『さんまのからくりTV』にでも送ってみようかな・・・。
今は、泣くしかないですよね・・・ラーちゃん勘弁してねっ♪
愛犬ラッキー | Comments(0) | Trackback(0)
2006/05/09.Tue

逝ってしまいました・・・

昨日は、会社からまっすぐ病院に迎えにいくと・・・もう唇は片方垂れていて、舌も出ていました。
ラッキーと声をかけても黄疸のせいで黄色くなった白目のままでほとんど反応がありません。
思わず「ラーちゃんお家に帰ろう」と泣きながら連発してました。
もう、こんな狭い所には入れない!と思わずにいられませんでした。
オシッコも自分では出すことができなかった為、抜く処置をしてくれたそうです。
帰宅後は、病院にいるときよりは意識もハッキリしていましたが、かなり痛がり身の置き場がない様子。ホントに見ていて辛かった・・・。
夫がどうしてもはずせない仕事で20時頃帰宅予定だったので、何とかそれまで持って欲しいと祈る思いでした。
ラー様にも「もう少しでお父さん帰ってくるからねっ!待っててよっ!」と言うと、それまでリビングにいたのですが、立てない身体を前足でひきずりながら玄関まで移動していました。
ホント言葉が分かるのですよ・・・その後、夫にも無事に会うことができました。
横になって枕をして寝るのがお約束だったラー様なのに・・・腹水がたまってきた頃からは、横になることすらできませんでした。
ず~っと伏せのポーズをして過ごしていたことと、移動のたびにゴトンと床に前足の関節をぶつけていたせいで、床ずれのようになっていました。
包帯でも巻こうかと思いましたが、ゆーとの小さくなった靴下の指先部分をカットしてサポーターのようにしてつけてみました。
痛みも落ち着いたのか、それともマヒしてきたのか・・・多少呼吸が荒くなることもありましたが、前の夜よりは眠れたようです。
私もへたに興奮させると息が荒くなるので、黙って寝顔を眺めて過ごしました・・・。
口に出して言わないまでも、夫はもう楽にしてやりたい・・・という気持ちでいる事が、私にはひしひしと伝わっていました。
私も迷いましたが、ラー様が生きたいと思って心臓を動かしている以上、私たちの手でそれを阻むことはできないと夫には伝えました。
安楽死・・・賛否両論があると思います。
実は、私が小学生の頃から飼っていた犬はフィラリアになってしまい、(その当時は今ほど認識されていなかったのです・・・)呼吸困難になる発作を繰り返しました。
目が飛び出るのではないかと思う程苦しがり、舌もチアノーゼで紫色になり、肛門からも便が出てしまうほど苦しい発作を繰り返していたのです。
獣医さんにも、年齢も年齢ですし(当時14歳でした)もって2~3日です・・・抱いてあげながら苦しまずに逝かせてあげた方が・・・と勧められ、誰もいない日中に一人発作で逝かせるよりは・・・と安楽死を選択したのでした。
何がいいのか、難しい問題です。
でも、これは悪までも飼い主のエゴでしかないのかもしれないと思うようになっていました。
苦しむところを見たくないというだけの事なのかもしれないと・・・。
どんなことがあっても最期まで見届けてあげなければならないのかもしれないと思いました。
ただ、治療の方法もなく、いたずらにこれ以上苦しませることはしたくない・・・とも思っていました。
でも頑張っている以上、できるだけのことはしてあげたい、でもあのカゴに入れての点滴は避けたい・・・。
今日は朝から獣医さんに交渉して、病院でオシッコを抜いてもらった後、点滴もセットして自宅で過ごすことができるようにしてもらいました。快く了解してくれたことに感謝しています。
私は明日、有給休暇を取る形にして、今日は夫が看病してくれることに・・・。
朝家を出る前、比較的落ち着いているラー様の顔を両手で挟んで「お母さんお仕事行ってくるからねっ!帰ってくるまで待っててよっ!!」と目を見て言うと、ラー様もしっかり私の目を見ていました。
玄関に行くまでず~っと私の目を見ていたのです。ドアを閉めるまでず~っと・・・。
何だかドアを閉めるのがイヤな気持ちでした。
とてつもなく寂しい思いがよぎりました・・・これでホントのお別れのような気がして・・・。
泣きながら会社へ向かいました。
社長に事情を話し、明日犬を病院に連れて行きたいので・・・と有給を請求すると
「犬まで面倒みないとダメなのかい、誰かに頼めないのかい」だそうな。
「夫も私も働いています。11年近くも一緒に暮らしてきた犬ですから、家族同然です!見殺しにはできないですから!」と言わせてもらいました。

イヤな予感は的中するものです。
AM10:50点滴をセットしてもらうために病院に行っていた夫から「病院に来れないか!」と電話が入りました。
もう息が止まったとのこと。
その後、看護婦さんは心臓マッサージ、獣医さんは注射をしたり酸素マスクをしたり手を尽くしてくれたそうです。
・・・が、私が到着したときは既に逝ってしまった後でした。
やっぱり朝のあの目は、私へのお別れの目だったのですね。
ホントに忘れられない目です。
「よく頑張ったねぇ~えらかったねぇ~」と声を掛けました。
横になっている姿を見て「やっと横になれたねぇ~」と思わず言ってしまいました。
家に連れて帰り「今度生まれてくるときは、ホントにお母さんの子供として生まれておいでよ~」と言いながら、口と肛門に詰め物をしました。
よく見ると口の中も黄疸でまっ黄色でした・・・辛かったでしょうね。
今は枕をして・・・まるで寝ているようです。ホントに安らかな顔をしています。

昨日の夜、皆が寝静まってから、江原さんの本をひっぱり出してみました。
安楽死についてやはりオススメはしていませんでした。
愛情をたくさん受けた犬の魂は、人間に生まれてくることもあると書いてありました。
現世では無理だとしても、来世ではお母さんのホントの子供として生まれておいでよ~と昨日も話しておきました。
未だに信じられません。進行が早すぎです・・・。
あまりにも思い出が多すぎて、何を見てもラー様のことを思い出す日々が続くと思います。
四十九日までは、どっぷり思い出に浸るつもりです。
それからは、早くいくべきところに行けるようにしてあげたいと思っています。
ラー様にとっては、かなり辛い時間となってしまいましたが、皆に覚悟をさせる為の時間をくれたのだと思います。
私もたくさん、たくさん伝えました・・・その時間をもらったから・・・。
また会おうねと約束しているから大丈夫!きっとまた会えると信じています。
愛犬ラッキー | Comments(6) | Trackback(0)
2006/05/08.Mon

ラー様頑張ってます!

昨日は、少しでも元気になっていることを願いながら夕方ラー様を迎えに行きました・・・が、ほぼ1日中ハナを鳴らしていたとのこと。
痛み止めを点滴の中に入れたり、直接注射したりしてくれたようですが、一時は痛みから解放されて眠るようですが、その後また鳴き始めるという繰り返しだったらしいのです。
先生から採血の結果を聞きましたが、白血球は89100まで上がってしまいました。
膵臓の数値はさほどではないけれど、やはり肝臓の数値はかなり異常値で、腎臓の数値も異常値でした。
「この数日間、抗生剤をこれだけ投与してもこの数値ということは、やはり癌だと思います。ただ、どこの癌かということを確定できなければ、抗がん剤も投与できないし、どこの癌かを確定するための検査をすること自体もラッキーちゃんにとってはツライ状態です。もう今日にでも目を落としても不思議ではないです」と言われました。
特にレトリバー系は癌が多いとのこと。
私も、ガマンしきれず泣きながら「これがラッキーの寿命ならば、少しでも苦しまないようにして逝かせてやりたいと夫も私も思っています」と伝えました。
病院を出る前に、痛み止めの注射を打ってくれましたが長くは効かないので、夜中ずーっと鳴き続けるかもしれません・・・とのこと。
お家へ帰ろうね・・・と言いながら、もう自力では立つことのできないラー様を抱いて車に乗せました。
車の中で、子供達と一緒に泣きました。
家で待っていた夫は、「ラッキーもう頑張らなくてもいいよ・・・疲れたでしょう」とラッキーを撫でながら言っていました。
ホントに夫にとっても私にとっても子供と同様の存在なのです。
私も、ラー様に伝えたいことは全て伝えました。
そして、お母さんはラーちゃんの味方だから、ラーちゃんのいいようにしていいんだよ・・・ということも・・・。
こんなに泣いたのは、祖母が亡くなって以来かもしれません。
夜中も痛みが襲うのか、やはり鳴いていました。
どうしてやることもできず・・・ただ声をかけながら撫でてやることしかできませんでした。
それでも頑張り続けているラー様・・・。
昨日、点滴をしている部屋まで入りましたが、狭いカゴの中に体を丸くして入っていました。
それを見ただけに、今日も点滴に連れて行くべきかどうか悩みました。
こんな状態になってからというもの、伏せをした状態が一番楽な様子・・・狭いカゴに入れて点滴をするべきか、点滴をするのはやめて、このまま家にいさせてやった方がいいのではないか・・・と。
でも頑張っている以上、少しでも痛みから救ってやった方がいいのかもしれないと思い、今日も病院です。

私は、スピリチュアルな世界というのはアリだと思っています。
なので江原啓之さんのことは大好きです。
こういう世界って、ちょっとコワイと思える部分があるものですが、江原さんが説くと不思議と怖さがなく、とても温かさを感じます。
そして、妙に納得してしまう私です。
今から6年くらい前だと思うのですが、上沼恵美子が司会の『快傑えみちゃんねる』に江原さんが出ていて、この人スゴイ・・・と思ったことがきっかけでした。
それから少し経って、今までの人生で最大のピンチを迎えたことがありました。
その時、ふと江原さんのことを思い出し本を読みまくったのです。
以来、かなり厳しい状況に追いやられても、何事も必然で、自分にとっては必要な経験なのだと思うと、切り抜けられるようになりました。
こうして考えると、先月どんなブログにしようかという方向も定まらず、何故かブログを始めなければならない・・・という気持ちになったのには、意味があったのだと思うのです。
きっとラー様のことなんですね・・・。
考えてみれば、今年に入ってからというもの、やたらとラー様の写真もとりまくっていたような気がします。
ムシの知らせというやつでしょうか・・・。
つい先日まで元気で健康そのものだったのに・・・何が何だかわからないというくらい本当に辛いです。
人間が60年、70年かけて歩む人生を、犬は15年足らずで歩んでしまう・・・ということは、病気の進行も人間よりずっと早いらしいのです。
今行っている動物病院では、健康でも年に2回は血液検査をすることを勧めているそうです。
ちゃんと採血結果や尿検査のデータも一覧にして渡してくれます。
こうすると経過観察しやすいですよね・・・と言っていました。
私は、もっと前に採血をしていたら・・・もっと前に・・・という思いが拭い去れないでいます。
このブログをご覧になっている方の中にも、ペットを飼われている方がいらっしゃると思います。
こうしてラー様のことを通じて、1人でも多くの方に読んでもらって、ラー様と同じようなことがないようにして欲しいという思いで一杯です。
これをきっかけにして、一つの命でも救う手助けができれば幸いです・・・。

今晩、またラー様と一緒にいられたらうれしいな・・・。
愛犬ラッキー | Comments(4) | Trackback(0)
2006/05/06.Sat

キツかった~

日に日に動きが鈍くなるラー様。
なるべく涼しいところを選んで寝ているようです。
床が体温で暖まると移動することを繰り返していますが、その移動すら辛い様子。
一人『だるまさんがころんだ』をやっているかの如く、少しずつ移動しています。
今日の朝は、病院に連れて行く前にいつも散歩していたコースに車で連れて行ってみました。
歩きたくても、歩けないんですよね・・・。
だましだまし少し歩いて・・・やっと車に戻りました。
本来は、今日プール付きの温泉に宿泊予定だったのをキャンセルしたので、プール付きレジャー施設『ガトーキングダムサッポロ』に日帰りで連れて行く約束をしていました。
できることなら私はお留守番していたかったのですが、夫1人でちびっ子ギャング2人というのは厳しい・・・。
水が相手となると、ちょっと任せきれないものがありました。
こんな状態でラー様は、今日1日もってくれるのか・・・という不安が頭から離れませんでした。
もう、何の修行かと思えるくらいキツかったぁ~。
心ここにあらずとは、この事って感じでした。
一応、獣医さんには事情を話して、ケイタイの番号も伝えておきました。
ちょっとしたすきを見つけては、ロッカーに入れてあるケイタイに着歴がないかチャックしまくりの私・・・。
子供達はというと・・・もうカッパ並ですよ。4時間水につかりっぱなし・・・。
やっとのことでラー様を迎えに行くと、一応しっぽを振りながら出てきました♪
朝は、伏せをしたきり立てなくて、看護婦さんに抱かれて行ったのですが・・・。
家では相変わらずです・・・。
明日は、再度採血する予定です。
少しでも数値が下がってくれていればいいな~。
愛犬ラッキー | Comments(0) | Trackback(0)
2006/05/05.Fri

セカンドオピニオン

セカンドオピニオンのことを考えていました。
どうも、開腹手術に固執しているように思えてならなかったのです。
ネットで獣医さんに相談できるページがあったので、ラー様の状況を書き込みしてみたところ、やはりいろいろ調べてからじゃなければ開腹手術に踏み切るべきではないとのことでした。
今、診てもらっている獣医さんに食い下がって検査してもらうべきか、新たな獣医さんに違う角度から診てもらうべきか迷いました・・・。
札幌方面まで行けば、もっといい獣医さんもいると思うのですが、夜中に急変した場合や毎日点滴に通うということになるケースを考えると、やはり地元の動物病院の方がいいかな・・・と。
愛犬家の知り合いにも電話で相談してみたところ、犬によってもその獣医さんと合う合わないがあるらしく、評判もまちまちのようです。
連休中は、診察しているかどうか・・・とのことでしたが、昨日ゆーととチャリンコで出かけようとしていた時、ふと電話してみよう!という気になり、同じ市内の別な動物病院に電話をかけてみました。
電話に出た方に、今までの経過を話したところ、午前中はやっていますとのことだったので、さっそく連れて行きました。
とても感じのいい獣医さんでした。
心電図・採血・尿検査を行ってもらったところ「貧脈だし、とてもじゃないけど開腹手術には耐えられない。内科的な治療をするしかないですよ」とのこと。(前まで行っていたところでは、心電図や尿検査すらしていませんでした)
白血球も通常12000までのところ、ラー様は60800もありました。
肝臓の数値も異常値で、腫瘍があるかどうかはさておき、早急に抗生剤の点滴をしないと間に合わないと早速点滴を始めてくれました。
夜、7時に迎えに来てくださいとのことだったので、迎えに行くと「覚悟はしておいた方がいいです」と看護婦さんに言われました。
「後は、どこまで数値を下げられるか、どこまでラッキーちゃんの体が耐えられるか・・・ですね」と。
ラー様は、しっぽを振って出てきましたが、なかなか帰るって素振りをしないのですよ・・・。
ここで、点滴し続けるとでも言いたいのでしょうか・・・。
治したいんでしょうね。
今日も朝から点滴をしています。
だまって土曜日まで待っていなくてよかった・・・。
何とか持ちこたえてくれるよう祈る気持ちです。
がんばれラー様

実践レポート・・・すっかりご無沙汰になってしまっています。
落ち着くまでお待ち下さいませ~♪
愛犬ラッキー | Comments(0) | Trackback(0)
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